【ARE哲学】あたりまえのことをあたりまえに【~第2段~】
お久しぶりのARE哲学、このたび第2段を公開!
何事も近くで見たら、大きく見える
空腹は食べ物でしか満たせない
1人の力は、やはり1人分の力である
火は熱い、氷は冷たい、電気はしびれる、木は硬い
1リットルの水を飲めば、身体は1kg重くなる
恐くなるのは、恐いモノを見たからである
物を作るには、目と手が必要
身体が笑えば、脳も笑う
あたりまえとは、やるべきことより、やってしまうこと
強い恐怖とは、他者をも恐れさせる
美しき花は、他の花ではなく、虫のために美しいのである
楽にこなせば、楽になる
誰かが無理だと言ったこと、それをやることに敵はいない
犬は犬、猫は猫。オスはオス、メスはメス
どんなアイデアも、そこに至る過程だけがオリジナルなのである
針が痛い注射をするとき、人は理にかなう
個性を求む心、それは個性にあらず
食べこぼしは、より小さな生き物を助ける
社会不適合者もまた、社会のひとつでしかない
電気を使えば、電気代がかかる
一度死ねば、永遠に死ぬ
遠い愛より近い愛、見えぬ愛より見える愛
安全だと示さなければ、まずは危険だと見なされる
下を見れば下が見え、上を見れば上が見える。同様に前や横は見えても、後ろだけは見えない
あたりまえということに気付いたとき、一つの苦悩と一つの楽しみが増える
小さなものを知れば、どこまでも大きなものを知ることが出来る
文字は読むことはできても、聞くことはできない
魔法少女は魔法が使える少女であって、魔法で出来た少女ではない
あなたのARE哲学もコメントへどぞー( ᐛ)
ゼンリ)ケーキを食べたら、甘い!
アクリ)”ピー”を”ピー”したら”ピー”!
モーリ)夏は暑い!
リリー)生きてる
恐くなるのは、恐いモノを見たからである?
どういうことや?、どうやったら恐くなるの防げるんや!?
恐くなりそうなモノはそもそも見ないことが大事ってことか?
せやけど、恐くなりそうって思った時点で恐いぞ!?