【10の行動】自分が幸せかどうかは、自発的な行動によって簡単に示される【”積極さ”と”共に歩むこと”はすべてのカナメ】
まえがき
はじめに、幸せとは自分の脳(無意識)が作り出す”快”状態のことで、脳の外(外界)の情報を好意的に処理した結果もしくは脳内での勘違いから生まれるもの。
また、”自分が幸せかどうか?”は自発的な行動によって簡単に示される。
なぜか...それは、幸せな人はいくつかの決まった行動を取るものだから。
たとえば、
あなたがいま”私はこの記事を読めて嬉しい”という文字を読んだときには、
あなたはすでにある程度の幸せになっていることが示され、
このページを開いたものの、読まなかった人は、その余裕のない行動から”あまり幸せではないことが示される”。
ちなみに、文字を読んだときに、脳が”嬉しい”というポジティブな言葉に反応し、読む前よりちょっと幸せになっていたりする。
ではさっそく、”幸せな人がとる10の行動”を紹介していくが、すべてに共通する大切なことは”積極さ”と"共に歩むこと"である、ということをなんとなく覚えておいてほしい。
魔法の言葉は「一緒にやろう!」
- 1.友達(協力者)を増やそうとしている
- 2.進んで人助け(仕事)している
- 3.創造性を発揮している
- 4.よく夢を語っている
- 5.探しものを素早く見つけている
- 6.何かに熱中している
- 7.その都度、感謝を伝えている
- 8.とてつもない自信を見せている
- 9.他人を絶対評価している
- 10.誰に対しても愛を示している
- さいごに
1.友達(協力者)を増やそうとしている
幸せな人は、本能的に自分の幸せをより多くの人に共有したくなる。
その共有先として、または共有力(拡散力)を強めるために、友達や協力者を増やす行動にでる。
この共有したいという思いは、まるで自慢の発展系のようなもので、
たとえば、”習得した技術のお披露目”や”獲得した大金の発表”という自慢から一歩進んで、それらの伝授や贈与を積極的に行うことにも繋がっていく。
「私、一億円あたったんだよね(笑)」
ここまでであれば、ただの自慢だが、続いて、
「A子にも半分(5000万!)あげるよ、うふふ(パターン1)」や、
「A子、このお金で何かデカイこと一緒にしない?(パターン2)」
となるのが幸せな人である。
この例を僕に当てはめる場合、残念ながらパターン1ほどの幸せはまだないけれど、パターン2であれば進んでやれる(確信)。
なんとかしてパターン1ができるぐらいの幸せを手にするためにも、幸せに繋がる行動を忘れないでいたい。
しかし、実際にこんな大金贈与があった場合には、贈与税(およそ半分が税)が半端ないので注意ね。
2.進んで人助け(仕事)している
幸せな人は、まず、自分自身の役に立っており、そこから”役に立つノウハウ”を得たことで人助けしたくなる。
たとえば、自分のテンションを上げられる音楽を把握していると、他人のテンションを上げたいときにその音楽を、上手く用いることができる。
僕の場合、ゲームを楽しむという行動が自分の役に立っているため、ゲームの”何が自分を楽しくさせているのか”を感じ取ることができる。それを利用して、感じたことを他人に伝えることで、その人のゲームに対する楽しみを一つ増やすことに協力できる。
もっと身近なものでいえば、炊事や洗濯という家事も、立派に自分の役に立っていて、そこにも誰かを助けられるノウハウがある。
3.創造性を発揮している
幸せな人は、一般的な秩序から逸脱しており、物事をフカン視点で見ている。
満ち足りてしまった幸せな人にとって、物事の詳細(ささいなこと)はどうでもよくなっており、あらゆることを大きなカテゴリーで処理するようになる。
その結果、思いもよらぬ着眼点や発想を手にし、引かれるような内容であってもおくせず発表してしまう。
たとえば、幸せな人がティッシュを、”白い””四角い””薄い”という要素にカテゴライズしている場合、
白いマグカップを見て”ティッシュ色のマグカップ(白カテゴリに着目)”、四角い絵を見て”ティッシュ状の絵(四角カテゴリに着目)”、薄型テレビを見て”ティッシュ型テレビ(薄カテゴリに着目)”というような理解しにくめな表現がでてくる。
このようなことが、ティッシュに限らず、あらゆることに発揮される。
僕の場合、中国での黄色は、日本でいうピンクのように性的な印象を持つと聞いて、じゃあ全身黄色のピカチュウってかなり卑猥なんじゃ、ぐらいの発想力。まぁ、日本人としてラッキーを見ても性的とは一切思わないけどね。一切ね。
4.よく夢を語っている
幸せな人は、良くも悪くも自分の足元を見ず、遠くの世界を近くに感じて過ごしているので、つい夢を語りたくなる。
そして、幸せな人が語る夢は、他人から見て不可能と思われるようなことであっても、きっちり実現する。
たとえば、
A子「私、芸能人のTさんの大ファンなの。絶対付き合ってみせるわ!」
C美「いやいや、気持ちはわかるけど無理でしょ…」
A子「そうかな、私のこと気に入ってくれると思うんだけどなぁ」
1年後、C美はA子からTさんを彼氏として紹介を受ける。
僕の場合、通勤電車の中で今にもな腹痛のとき、「まぁ?神様も仏様も僕には付いてるし?まぁ?大丈夫でしょ?お手洗いでしか出さないよ?」
と壮大でインポッシブルな夢を何度も語ってきたけれど、決して漏らさず、そのたびにその夢を完璧に叶え、そのたびに、僕は大きな幸福感に包まれた。
5.探しものを素早く見つけている
幸せな人は、全体を見通してから大きなカテゴリーで物事を見ているために、自分の探すべき物の特徴だけを捉えることができ(逆にいえば、それ以外をシャットアウトし)、効率よく見つけられる。
たとえば、YoutubeでCD音源やPVを探すときに、「タイトル -歌ってみた」みたいに目的物の特徴と除外項目を設定するようなもの。
僕の場合、よく”人からの愛”を探しているんだけど、何にでも愛をすぐに見つけちゃうんだよね...。
コーヒーを飲むという行動からでも、
コーヒーの仕組みを考えた人や、コーヒー豆の量産化に成功した人、物流を上手く作ってくれた人から、
お湯が手軽に沸かせる機械やマグカップの製作者や販売者…などなどから色んな思いや愛を受けてコーヒーが飲めているんだなぁって。
探せば永遠に尽きることのない、そう、無限の愛を見つけては感じているよ…。
はい、次いきま。
6.何かに熱中している
幸せな人は、満ち足りているので不必要に周りを警戒する必要がなくなり、文字通り直向き(ひたむき)に、つまり目的に真っ直ぐ向かっていく。
たとえば、美しくなりたいという目的を持ったとすれば、ただ美しくなる方法に熱中し、それを害する行動は遠慮なくシャットアウトする。
僕の場合、誰かに止めて欲しいレベルでゲームに熱中してしまうので、むしろ気を付けないといけない。
(もちろん本音では、止めてもらわなくていいけどさ(笑))
昔から連休とかがあると、二日程度は睡眠や食事、お手洗いも限界まで無視してやれてしまって。
もちろん今では、それらはゲーム中のパフォーマンスを下げてしまうことは当然、
将来の健康寿命を損ねて、ゲームに関われる総時間を減らしてしまうので注意している…つもり。
ある意味で幸せのデメリットかもしれない。
7.その都度、感謝を伝えている
幸せな人は、特に何も考えずとも、口にすべき感謝はすぐに発し、口にするほどでもないことであっても、その心の中では感謝しているのが常。
ここまで読んだ人なら言うまでもないかもしれないが、
幸せな人が他人に向けたその感謝の実質的な相手は、その他人ではなく自分である。
そういう幸せな人とその脳(無意識くん)を表現してみると、
幸せな人「Aくん、ありがとう!(無意識くんA:感謝できる環境(つまり、なにかに恵まれた環境)を作った自分マジ凄い、ガチ役に立たってる、自分超ありがとう。)」
→幸せな人の脳(無意識くんB)「いえいえどういたしまして、えへへー(照)なんか楽しくなってきたぞ!」
というふうに、しばらく幸せ思考(無意識くんAとB)が勝手に盛り上がってくれる。
つまり、所構わず感謝する幸せな人(幸せの自家発電マン)の脳内はパーティになりがち。
この現象は、いま幸せでない人であっても引き起こすことができ、誰だって即幸せな人になれてしまうのが面白い。
ただ、このパーティ状態の理解されにくいところは、一般的な視点で見ると不幸な出来事にすら感謝してしまう強さを持っていること。
たとえば、誰か親しい人が亡くなったときに、色々な感謝に紛れて「死んでくれてありがとう」という世にもホラーな感謝が普通に混じってしまう。
もちろん、感謝は感謝に違いないが、一般的にはあまり理解されないことなので、勢いで口に出してしまわないようにしたい。
8.とてつもない自信を見せている
幸せな人は、自分が幸せという感覚だけを理由に、とてつもない自信を持っている。
ここへさらに、別のこと(努力や思い込み)による自信が加えられたら、もう気持ちの面では”無双”状態である。
この項目に例題は不要だよね!だって僕は幸せなんだもん!いぇーい!
9.他人を絶対評価している
幸せな人は、考え方に制限がなくなっているため、自分の気持ちや考え方を物差しに、多角的に他人を唯一無二として絶対評価する。
この評価方法によって、幸せな人もその評価を受けた人も、決してブレない芯を持つことができ、革新的な行動を取れるようになっていく。
もちろん、その人のためであれば相対的な評価も十分に取り入れる。
しかし、幸せな人による評価は、新たな情報に合わせて柔軟に、かつ頻繁に更新されるため、いい加減な評価に見えてしまうかもしれない。
そこで、一般的な評価と決定的に違う点を知っておきたい。それは、幸せな人の評価は、”常に想いのこもった評価である”ということ。
通常、人が評価を明確に下す瞬間は、お別れの挨拶のようなもので、
その評価の結果に合わせて、具体的な改善や向上を共に行おうとはせず、評価を下して互いの関係はもう終わり。
けれど、幸せな人は、自分が評価した者と共に”さらなる幸せを実現するように”行動する。
また、幸せな人がもつ評価力(物事を感じ取る力)というのは、何も人だけではなく、野球や将棋のような勝敗のある試合の流れを読んだり、事件や事故の可能性を汲み取る力にも繋がっている。
これは、幸せな状態が直感力を高めているからである。
この場合の直感力というのは、”脳が無意識下で、今までの人生経験すべてを瞬時に計算し、次に取るべき行動を決定する力”のこと。
そうした直感に従うことで、新たな幸せを見つけることが出来る。
僕の場合、道を歩いていると、よくヤンキーがたむろしてる/してそうなところには、僕の直感が通るなよって頻繁に教えてくれるね。ありがとう無意識くん。
10.誰に対しても愛を示している
幸せな人は、自分自身も含めて、他人と分け隔てなく共に歩もうとするため、誰に対しても”よければ一緒に(○○して)幸せになりませんか”、と明確に愛を示している。
この場合、明確で広範囲な愛であることが重要で、あまり幸せではない人は、愛を持っていても、あらゆる欠如を原因に不鮮明で限定的な愛になってしまっている。
また、この”誰に対しても”にも注意点がある。
幸せな人からの愛だからといって、決して無償の愛ではなく、相応の見返りが期待された愛である。
別に難しいことではなく、ただ”共に歩んでくれる”ことこそ最大の見返りであり、これを拒絶するものは”誰”の中でもずっと優先度が下がってしまう。
なぜなら、体も時間も有限だから。
たとえば、有名で美味しいお店には誰でも行くことができるけれど、意志が強く行動の早い”先着のお客さん”が常に優先され、そうでもない人たちは順番待ちが必要になるようにね。
僕はまだ、こういう幸せな人に直接会ったことはないけれど、もし出会えたらそれだけで幸せなことだよね。
さいごに
色々紹介したけれど、まとめると、
あらゆることに対して”積極的”で、”共に歩もう”としていれば、それだけで幸せになれるんだってことかな。
魔法の言葉は「一緒にやろう!」
ほっほー、ここで紹介された行動を真似したら、わしも幸せになれるってことやな!凛、わしも一緒にがんばるでー!